京都車連にお世話になっている者として

レーススケジュールを確認に、久しぶりに京都車連のHP行ってみると、どうやら「カテ違いエントリー」の件で掲示板が紛糾しているようだ。過去の入賞者が入門クラスにエントリーして入賞した事に対する批判のようであるが、確かにカテ違いのエントリーは卑怯と思う。が、それを匿名でネットで批判するヤツも卑怯者である。
「初心者の気持ちを考えると・・・」とか、「ルールに則って・・・」とか、「本人の今後を考えて・・・」とか、論理的には正しい言い回しをしているが、そもそも本当に本人の事を考えるなら、愛情をもって直接本人に伝えるべきである。それも公衆の面前での批判と言った形ではなく、相手の立場や価値観を十分に尊重した上で、方法を選んで教えてあげるべきである。もしそれをする勇気が無いのであれば、このような形で批判をするべきではない。
そもそも、批判する側、される側の両者に、車連への感謝の気持ちが感じられないのと、参加者として大会や車連全体の発展に寄与する義務を果す気持ちが感じられないのが悲しい。
この話題の一連の書き込みにも、「車連がルールをきちんとすべきでは・・・」とか、「車連が本人に注意すべきでは・・・」とか、車連にばかり責任を押し付けるような態度も卑怯である。レース(特にホビーレース)とは車連だけが作るものではなく、参加者も一緒に作り、盛り上げていく必要があるのを忘れている(気付いていない)のでは無いだろうか?
変な利己主義が蔓延しているのか、参加費を払えばレースに参加できるのは当然の権利であるかの勘違いがあるように思う。
「カテ違い」についても同じ事で、主催者の意図を外れるようなエントリーはレースをこわしてしまい、参加者だけでなく主催者に対しても大変失礼なものである。参加者は規則に明記されたルールを守るだけでなく、そのレースや自転車競技にある「文化」や「礼儀」を学び、身に付けたものを「実践」していく事も求められる。
そして参加者全体で、この自転車競技の良き「文化」や「礼儀」を維持していかなければならない。それを醸成する上で、「ネットでの批判」は大切な文化を踏みにじっていると言える。批判では何も変らない。文化を作り出すことに参加することが大事である。

上で書いた参加者の「義務」とは、運営にたずさわったりとかの大きな意味ではなく、最低限、参加するレースを尊重する事だけでも守らなければいけないと思う。この考えに立ち返れば、「カテ違い」も「ネットでの他人の批判」も「車連への責任押し付け」も、どれも最低の義務を果たしていないと言える。

もちろん、体調や距離の不安や、鈴鹿の様に複数エントリーしている時など、チャレンジして一つ上のクラスでなく、入賞経験のあるクラスや、もしかしたら一つ下のクラスにエントリーすることもあると思う。そんな時は、そのレースを作るためにレースの中で先頭を引くなり、数名を引き連れた逃げを仕掛けるなり、きちんと働けばよい。
そしてレースが終われば、レース中に何があったとしてもお互い仲間としてスポーツマンシップのもと理解しあう。後に引きづらないのが大切である。

車連に迷惑がかかるといけないので、ここにしか書き込まないが、自転車競技の発展の為に、少なくとも良き文化を守って行きたいものだ。